DiamondGenki
だいもんしゅんすけプロフィール
アウトライン-軌跡

作家で編集者、日本で初めて全国のラーメン店を食べ歩き、一冊にまとめ50 万部のヒットとなった 『ラーメンの本』等を執筆、編集今日のラーメンブームの基を創った“パイオニア” 大門八郎を父に持つ。
はじめての就職がフランス料理のコック。修行を積むうち裏方が性に会わないと、表の仕事にまわり、玄関、クローク、受付、ウェイター結婚式、黒服まで登り詰める。 その頃三船敏郎、絲山栄太郎お気に入りのシンガー、サトーノト(東芝)と出逢い、音楽の道へ。
様々な音楽事務所などや作家事務所を経て、徳間音楽工業バーボンレコードに正社員として中途入社。
当時ディスコバンドであった、The Venus と運命の出逢いを果たす。
担当から2 年、だいもんしゅんすけはじめてのプロデュースワークがはじまる。
1981 年に徳間音楽工業バーボンレコードより発売した世界初のノンストップメドレーシングル(後にBeatles45 ものが出る)『ザ・ヒットパレード』40 万枚のヒットとカネボウ夏のCF ソング『キッスは目にして』の130 万枚のビッグヒット。

このときの作品企画立案、レコード制作、マネージメントから宣伝、営業、デザイン、現場にまで携わりひとつひとつの判断をすべて行った経験が大変ではあったが今日のだいもん しゅんすけのすべての方法論と原動力、つまりプロデュースパワーにつながっている。
萩原健一や柳ジョージ、上田正樹、J-WALK 等を擁する徳間バーボンレーベルからフォーライフレコードへと移動、フォーク奇才のなぎら健壱や横山やすしさんの息子、木村一八、女優・秋野暢子のレコードやCF ソング映画、アニメのサントラ版などを手がける。
このとき社員数の多いレコード会社でのリリースリスクを感じ、社員2人の日本で最初のインディーズレコード会社《Diamond Heads RECORDS》を立ち上げザ・キングトーンズや京都のおもしろロカビリーバンド、ROCK ショップの店員バンドなどのシングルをぞくぞくと発売。
またこの頃、フォーライフの正社員でありながら、テレビ神奈川の人気音楽番組『ファンキートマト』でのコーナー司会、名古屋が誇った、中京テレビのコカコーラ1社提供の超人気番組『 5 時SAT マガジン』のメインパーソナリティー、フジテレビ『俺たちひょうきん族』では明石家さんまのダブルとして“アミダ婆” や“しっトるけ” などで出演、その後も明石家さんま主演『心はロンリー気持ちは・・・』にレギュラー出演した。これは今後続編があるとまた出演する予定である。
その後、音楽をベースにしながら、カフェプロデュース等でアートを発信し、当時発表の場が少なかった霜田恵美子氏、蛭子能収氏、日比野克彦氏などの作品を新宿Suzys Bar に展示、世に出る力添えをする。
そしてこの頃、アメリカのサーファーが生み出した、日本にはまだ無かった『スノーボード』と『ウェイクボード』の日本への紹介、普及を行う。(現ウェイクボード協会理事)
マネージメントとしては女優・秋野暢子のマネージメント& プロデュース、ハリウッド女優島田陽子のマネージメントオフィス社長を歴任、アスリートではスノーボードの成田童夢、メロ、FC 東京のブラジル人ストライカーであったアマラオ、格闘技の山本宣尚等と、阪神球団からメジャーリーガーになった新庄剛志の 日本国内のマネジメントを2001 年ニューヨークメッツ時代から、サンフランシスコジャイアンツ時代日本ハムファイターズ時代、さらに引退後の独立オフィス時代まで行う。
2009 年頃に新庄 剛志が始めたエアブラシアートをきっかけに巡り会ったメイクアップツール“Hollywood AIR” と出逢いハリウッドでは日常的に使われているビューティーツールの日本ブランドのプロデュース&プロモーション活動を行う。多くの女優、タレント、テレビ局のメイクルーム、映画などで、愛用されている。
現在、過去40年間に渡る、数々の経験を活かし、また来たる東京オリンピックを見据え、女性、アスリート、高齢者に対するボディケアとモチベーション& メンタルケアに関するプロデュースとプロモーションを展開。
また、ジャンルを超えたバリヤフリーなマネジメントを独自に開始、さまざまな人間の夢と目標を叶えるべく活動を開始した。